人には視えないものが視える子どもでした。12回を超える死の淵を経て、いまは一人ひとりに宿る「守護の力」を絵に降ろしています。
キャンバスには、願いを託す満月を。絵の具には、御守り・厄除けの意を込めた沖縄の珊瑚の塩を。世界にひとつの「守護絵」を、ご依頼くださる方のために描いています。
人には視えないものが視える子どもでした。12回を超える死の淵を経て、いまは一人ひとりに宿る「守護の力」を絵に降ろしています。
キャンバスには、願いを託す満月を。絵の具には、御守り・厄除けの意を込めた沖縄の珊瑚の塩を。世界にひとつの「守護絵」を、ご依頼くださる方のために描いています。
物心ついた頃から、人には視えないものが視えていました。最初にその扱い方を教えてくれたのは、同じく視える人だった祖母です。幼い日の記憶は、ほとんどが祖母と過ごした時間です。成長とともに力は扱いきれないものになり、原因のわからない怪我や病気が続きました。のちに出会った霊能者や沖縄のユタは、口をそろえて私を「龍の器」と呼びました。
高校で島を出てボクシングを始め、卒業後にプロへ。23歳、日本タイトル戦を目前に身体が限界を迎えました。内臓と呼吸の機能が止まり、ICUで7度の呼吸停止。泣き崩れる母の姿を見て、引退を決めました。
リハビリ中、元気をなくした患者さんに似顔絵やキャラクターを描いて渡すと、驚くほど喜んでもらえました。それが、独学で絵を始めたきっかけです。2年の入院と6年のリハビリ、12時間に及ぶ腰の手術。歩ける確率は50%以下と言われましたが、3か月後には杖で歩けるようになりました。
人生を変えようと、作品だけを担いで上京しました。鮨店で働いた時期もありますが、絵以外の道に進むたびに身体を壊しました。人のために絵だけを描くようになってから、体調も少しずつ上向いていきました。いまは、相手に宿る守護の力を視て描く「守護絵」と、講演を通じて、人を少しでも救うことを仕事にしています。
| 幼少期 | 祖母から「視る力」の扱いを教わる |
|---|---|
| 高校 | 島を出てボクシングを始める |
| 高校卒業後 | プロボクサーになる |
| 23歳 | 日本タイトル戦を前に体調を崩し、ICUで7度の呼吸停止。引退 |
| 入院・リハビリ期 | 患者さんへの落書きをきっかけに独学で絵を始める(入院2年・リハビリ6年) |
| 30歳頃 | 再入院、腰の手術(12時間)。3か月後に杖で歩行 |
| 上京後 | 鮨店に勤務。その後、絵に専念 |
| 現在 | 守護絵の制作、講演活動 |
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